君津市の概要
君津市は、千葉県の南部に位置し、県下第2位の市域面積をもち、東京湾に面しています。隣接する都市は、市原市・木更津市・富津市・鴨川市などがあります。湾岸沿いは1960年代に埋め立てられ、現在では世界に誇る製鉄所(新日本製鐵)を中心とする重工業地域、北部台地の一角には“かずさアカデミアパーク”が建設され、エレクトロニクス・新素材・バイオなどの国際的水準の民間研究所開発拠点となっています。また、同市はその特殊な地形体系のため、湾岸部・河川中流域・丘陵地では気候が少しずつ違い、平均気温の差が2度程度あります。
君津のあゆみ
房総半島にて人々が生活を始めたのは、今から約3万年前だといわれており、君津にも多くの遺跡が残されています。なかでも常代遺跡は、出土した土器から、東日本最古の方形周溝墓ということがわかり、東日本最多となる160基もの方形周溝墓が発見されています。水田跡は見つかっていませんが、木製の農具や堰の跡が発見されていることから、弥生時代中期には、君津地方でも稲作が行われていたことが確認できます。
君津は古来から交通の要衝にあたり、小高い山頂に久留里城がありました。久留里城は、平将門の三男、東少輔頼胤が浦田妙見に参詣の際、夢のお告げにより築城したという伝承がありますが、史実では室町時代後期に、上総守護代に任じられた上総武田氏が築城したとされています。その後、武田氏の内紛に乗じて進出した里見氏が、新たに城地を定めて本拠とし、後北条氏と争いを繰り広げました。
江戸時代に入ると、徳川譜代の大須賀(榊原)・土屋・酒井氏などが相次いで入封し、その後は黒田直純が藩主となりました。この黒田家は、武蔵丹党の中山氏の出で、黒田直定・直張・直邦の時に万石に達し、大名として常陸下館に入ります。その後、上野沼田へ移り、直邦は西丸老中を勤めています。その子、直純は上野沼田から上総久留里に3万石で転封され、以後、幕末まで黒田家の支配が続きました。
このころ君津の海では、海苔商人をしていた近江屋甚兵衛が、千葉県で初めての海苔づくりに成功し、ここに上総海苔が生まれました。それ以来、海苔づくりを中心とした君津の漁業は、長い間受け継がれました。
戦時中は多くの被害を受けた君津地方ですが、戦後の昭和36年(1961年)に八幡製鉄が進出したことをきっかけに、海岸は埋め立てられ、漁業から製鉄のまちへと大きく変化し、発展していきました。昭和46年(1971年)には市制を施行し、君津市が誕生しました。当時の人口は約5万人でしたが、それから着々と人口増加や発展を続け、現在は9万人を超える内房の中核都市に成長しています。
君津の名前の由来
古事記の日本武尊(ヤマトタケル)伝説によると、日本武尊の東征の際、海上で暴風雨になり、妃の弟橘(オトタチバナ)が身代わりに入水し、風雨を弱めました。この時、日本武尊は「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」ということばを残しました。この「君去らず」が「木更津」や「君津」の地名の由来といわれています。
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久留里城址資料館 |
| 住所: |
〒292-0422
千葉県君津市久留里448-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0439-27-3478 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
毎週月曜日、および祝日(祝日が月曜日にあたるときはその翌日)、12月28日〜1月4日 |
| 入館料: |
無料 |
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